はじめに
2005年10月10日、私は小雨の降る中、茨城県石岡市にある常磐線の石岡駅へと降り立った。石岡駅からは、鹿島鉄道線へと乗り換えて霞ヶ浦の北部を通り、茨城県鉾田市の鉾田駅へと向かう。
当時、常磐線の石岡駅からは、鉾田駅までを結ぶ鹿島鉄道線が運行されていたが、2001年8月に鹿島鉄道線の屋台骨を支えていた航空自衛隊百里基地への航空ジェット燃料輸送が廃止になったことから、経営状態が急激に悪化し路線廃止のうわさが立ちはじめていた時期であった。
鹿島鉄道線はこの時からおよそ1年半後の2007年3月31日限りで廃止されることになってしまうが、今回は、鹿島鉄道線の廃止の秒読みがいよいよ迫ろうとしていた時期の鹿島鉄道線石岡~鉾田間の乗車記を綴りたい。
目次
1.鹿島鉄道線とは
鹿島鉄道線とは、2007年3月31日まで茨城県石岡市の石岡駅から茨城県鉾田市の鉾田駅までの26.9 kmを結んでいた鹿島鉄道株式会社が運営する鉄道路線であった。
鹿島鉄道鹿島鉄道線は元々は、大正時代に常磐線方面から鹿島神宮を目指す参宮鉄道として計画された路線であったが、鹿島神宮への延伸は結果として叶わず、鹿島神宮への鉄道アクセスが可能となるのは戦後の1970年の国鉄鹿島線の開業まで待つことになる。
また、鹿島神宮を目指す参宮鉄道として計画された経緯から、大正時代の1924年の開業時は鹿島参宮鉄道という路線名であった。その後、1965年に鹿島参宮鉄道は常総筑波鉄道と合併し関東鉄道鉾田線となるが、1979年になり経営成績の芳しくなかった鉾田線は筑波線と共に関東鉄道から分社化され、それぞれ鹿島鉄道と筑波鉄道となった。
鹿島鉄道線の大きな特徴としては、2001年まで航空自衛隊百里基地への航空ジェット燃料輸送が行われていたことで、この航空ジェット燃料の貨物輸送が同社の経営の屋台骨を支えていた。しかし、2001年8月に、鉄道に高く依存していたジェット燃料輸送が、燃料の積み下ろし駅である榎本駅から航空自衛隊百里基地へのパイプラインの老朽化を理由に中止となったため、経営状況が深刻な状況なまでに悪化。
その後、鉄道の存続に向けて親会社である関東鉄道からの経営支援や茨城県などによる公的支援が行われたものの、経営状況は著しく改善することはなく鹿島鉄道鹿島鉄道線は2007年3月31日限りで廃止されることになった。
なお、会社としての鹿島鉄道は2020年現在も存続しており、現在は茨城県内において賃貸業などを営んでいる。
2.起点の石岡駅
2005年10月10日朝、上野駅から勝田行の常磐線普通列車へと乗車し、常磐線と鹿島鉄道線の分岐駅である石岡駅へと到着したのは午前9時00分ころのことであった。
鹿島鉄道線の起点となる石岡駅は茨城県石岡市の中心駅だ。石岡市は関東地方北東部、茨城県の県南地域に位置する都市で、当時の人口およそ8万人。石岡駅には1時間ヘッドで特急フレッシュひたち号が上野駅との間を54分間で結んでいた。
鹿島鉄道の鉾田方面行の列車は、そんな石岡駅の駅舎側から最も奥側にある位置にある4番5番ホームに発着していた。石岡駅の跨線橋を登り4番5番ホームへと向かうと突き当りには大きな赤い文字で「ようこそ鹿島鉄道へ 駅事務室・案内書」と書かれた看板があった。
そして、跨線橋を下ると、そこには小さな改札口があり、ホームには9時9分発の常陸小川行の普通列車が待機していたが、私が乗車する列車は9時52分発の鉾田行であったことから、この常陸小川行の列車は見送ることにした。
なお、鹿島鉄道線では、石岡~鉾田間27.2kmの全線を走破する列車のほかに、石岡~玉里間3.6km、石岡~常陸小川間7.1kmを結ぶ区間列車の設定もあった。
常陸小川行の列車が去ったところで、あらためてホーム中ほどにある待合室を眺めてみるとそこには、「省エネルギー ちょっと歩いて電車・バス 運輸省」と書かれたステッカーが貼られているのが目に留まった。
そこにあしらわれているキャラクターは、1980年代にNHK教育(Eテレ)の『おかあさんといっしょ』内で放映されていた『にこにこぷん』のピッコロであり、中央省庁再編により運輸省が国土交通省へと変わったのが2001年のことであるので、このステッカーは相当古いものであるということは容易に想像が付いた。
この「省エネルギー ちょっと歩いて電車・バス」というスローガンがもっと広く世の中に浸透することができれば、鹿島鉄道の旅客需要をもっと掘り起こせそうなものではあるのに…、と私はそんなことを思いながら鉾田行の列車を待つことにした。
当時の鹿島鉄道では土曜・休日限定で鹿島鉄道線全線に乗り放題の一日フリーきっぷが1100円で販売されており、鹿島鉄道線へはこの一日フリーきっぷで乗車することにする。
石岡~鉾田間の運賃は1080円であることから、一日フリーきっぷで全線を往復するとおよそ半額となり、かなりのお得感がある。一日フリーきっぷの購入についてはホームに立っていた駅員氏に申し出ると、そのまま購入することができた。
鉾田行の発車時刻まではまだ40分近い待ち時間があることから、私は鹿島鉄道の機関区がある駅構内を散策してみることにした。通常、鉄道車両の車両基地は車両センターや検車区、運転所といったような名称が馴染み深いものではないかと思うが、車両基地の名称が機関区とは古風な印象だ。鹿島鉄道では2001年まで貨物輸送を行っており、それまではディーゼル機関車の所属もあったことから、その名残なのではないかとも思えた。
また、機関区の片隅にはには「鹿島鉄道」の社名入りの軽ワゴン車が停められていたのが印象的だったので、こちらもカメラに収めることにした。この軽ワゴン車は、保線の見回りにでも使う車両なのであろうか。
3.鹿島鉄道の車両たち
鹿島鉄道の主力車両は、新潟鐵工所製の16m級の軽快気動車(NDC)であるKR-500形が4両が在籍しており、この他に、元夕張鉄道のキハ714形1両、元加越能鉄道のキハ430形2両、元国鉄のキハ600形2両の合計9両が活躍していた。
新潟鐵工所製の軽快気動車(NDC)は、第三セクター鉄道などで広く見ることの出来る汎用タイプの車両であるが、通常のNDCは車両前面に貫通扉を備えているものが一般的な形状であるが、鹿島鉄道のNDCは車両前面が非貫通タイプとなっていることが大きな特徴であった。
また、鹿島鉄道に在籍する4両のKR-500形は、4両すべての帯の色が異なっていることが大きな特徴で、帯の色は、それぞれKR-501形が「紫」、KR-502形が「赤」、KR-503形が「緑」、KR-505形が「水色」であった。なお、504については忌み番号とされ、当初より欠番となっていた模様だ。
機関区の様子を見てみると、NDCではない旧型の気動車は全て機関区内に在線しているようで、バラエティに富んだ車両群を眺めることは本当に飽きが来ない。
4.霞ヶ浦の見える車窓風景
石岡駅の構内や機関区の様子を見学しているうちに時間は9時30分近くになり、鉾田方面から1両編成の列車が入線した。この列車が折り返し、9時52分発の鉾田行となるようである。
折り返し、鉾田行となる車両は、緑色の帯をまとったKR-503形で、車内はセミクロスシート仕様。ちょっとした小旅行気分を味わうのには最適な車内環境だ。
列車は鉾田方面からやって来た乗客を吐き出すと車内整備を行ったのち、地元のお客さんと数名の鉄道ファンを乗せ、9時52分、定刻通りに石岡駅を発車した。
石岡市街地を抜けると、列車はほどなくして茨城県小美玉市の市街地へと入り7分ほどで玉里駅へと到着。玉里駅周辺には比較的大きな市街地が広がっており、石岡駅からこの玉里駅までは区間列車の設定もあることから、それなりに需要のある区間なのであろう。
この先の玉里駅から、同じく石岡駅との間の区間列車が設定されている常陸小川駅までの間も断続的な市街地が広がっており、鹿島鉄道線としてはこの区間が一番利用客の多い区間であるのであろう。玉里駅から常陸小川駅まではさらに8分ほどの乗車で到着した。
常陸小川駅を過ぎると列車は市街地区間を抜け、小美玉市から行方市へ入る。ここからの車窓は一面の田園風景へと変貌を遂げ、列車は自然豊かな景色の中を一直線に貫いた線路の上を進んでいく。
やがて車窓右側には日本第二の面積を誇る湖である霞ヶ浦が見え始め、北関東にやって来たということを実感する。
5.ジェット燃料輸送の拠点だった榎本駅
列車は、霞ヶ浦沿いに桃浦駅、八木蒔駅、浜駅へと停車し、再び内陸部へと進路を向け、小さな市街地を持つ玉造町駅へと停車する。玉造町駅周辺は行方市に合併する前の旧玉造町の中心市街地となっており、行方市役所玉造庁舎などが立地している。
そして、玉造町駅の次の榎本駅は、2001年8月まで航空自衛隊百里基地までのジェット燃料の積み下ろしを行っていた駅であり、この駅でタンク車から降ろされたジェット燃料は、パイプラインによって百里基地まで輸送されていた。
私が訪れた際は、既にジェット燃料の貨物輸送の廃止から4年ほどが経過していたため、広い駅構内には既にタンク車の姿はなく、どこか物寂しげな様子であった。
榎本駅を発車すると、列車はほどなくして終点の鉾田駅へと到着。石岡駅からの所要時間はおよそ1時間であった。
6.終点の鉾田駅
終点の鉾田駅は2面1線というやや変わった形式の構造となっており、1本の線路を2面のプラットホームで挟み込む形となっている点が大きな特徴の駅であった。
鉾田駅では、地元の方の降車がそれなりにあり、乗客が減少傾向にあるとはいうものの、必要な策を打つことが出来れば、まだまだ鉄道に対しての潜在的な需要は掘り起こせるのではないかと感じられた。
プラットホームから起点の石岡側を眺めてみると、石岡方面に向かって2本の側線が分岐しており、必要があるときなどはこの側線に気動車を留置しておくことが可能なようであった。
鉾田駅舎は、昔ながらの木造平屋造りの駅舎ではあったが、なぜか駅舎入口に王冠のようなモニュメントが設置されており、趣のある駅舎のとミスマッチ感は否めなかったほか、駅舎横で立ち食い蕎麦屋さんが営業中であったのは意外であった。
鹿島鉄道の鉾田駅からは、鹿島臨海鉄道の新鉾田駅まで徒歩で連絡することも可能であったが、この日は鹿島鉄道一日フリーきっぷを購入していたことから、元を取る意味でもそのまま石岡駅へと引き返し、鹿島鉄道線の旅を締めくくることとした。
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